
私は毒親育ちで、自分の考えや気持ちを相手に伝えるのがニガテ。
でも、私の気持ちをわかってもらいたい。
この矛盾に何年も何年も耐えてきたけど、そろそろ限界!!

相手に「自分の思っていること」をちゃんと説明するのは大切だよね。
でも、なかなかうまくできない。そんな自分に嫌気がさす。

「自分の気持ちはちゃんと伝えなきゃ」と思って説明したところで、軽く流されてしまう。
相手も悪気はないんだろうけど、イライラして耐えられない。
そんなことのくり返しで、もう人と話すのは疲れた…。
こんな耐えがたい苦しみに悩んでいる毒親育ちの方に向けた記事です。
- 人と話すのが死ぬほどニガテ
- そんなだから、自分の考えや気持ちを話すのはさらにニガテ
- ていうか、話したところで、結局私の気持ちは否定されたりないがしろにされたりするだけなんだが?
- 結局伝えても意味ないなら、ニガテを乗り越えてがんばって自分の思っていることを話すのダルくね?
- でも、コミュニケーションにおいて、自分の気持ちをきちんと伝えるのはやっぱり大切だよね…。
私も毒親育ちで、ずっとこんな感じで苦しんできました。
今まで死ぬほど苦しかったです、いや大げさでもなく。笑
これが何十年と続いたせいで、さすがに人と話すのに疲れてしまいました。
で、「もうええわ」ってなって、人にわかってもらう努力をあきらめたら、なんかふと心が軽くなったんですよね。
今回はそういう私の体験談です。
毒親育ちで、自分の気持ちを伝えるのがニガテな方の助けになれば本当に幸いです。
一般的な解決法は毒親育ちの「わかってほしい」には通用しない
最初にお話ししておきますが、この記事は、よくある
- 「与えてもらいたければ先に与えよ」系(例:まず先に自分が相手の気持ちを尊重してあげよう!)
- 「世界はホントは優しい」系(例:大丈夫!人はあなたのことを軽く見てなんかいないよ!思い違いだよ!)
- 「あなたの努力が足りない」系(例:伝える技術を磨く努力をしよう!)
みたいな、「この記事書いた人はホントに真剣に悩んでんのか…?」と疑いたくなるようなお話ではないつもりです。
ポジティブな内容ではありませんが、実用的な方法です。
「与えてもらいたければ先に与えよ」系の誤解
「まず先に自分が与えよう」という意識は尊いものだと思います。
否定はしません。
それに、先に自分が相手の気持ちを尊重してあげることで、相手もこちら側の気持ちを尊重してくれるようになることは実際あります。
でも、一方で、こちらがいくら先に相手の気持ちを尊重してあげても気がついてくれない鈍感な人もいます。
例えば毒親がいい例です。
みなさんもあるんじゃないでしょうか。
ヒステリーにキレる父や母が心からかわいそうだと思って慰めたり元気づけたりしてきたのに、父や母はまったくこちらの気持ちなんて尊重してくれなかったという経験。
そんな人相手だと、自分が一方的に与えてあげるだけでは必ず疲弊します。
というわけで、「先に相手の気持ちを尊重してあげて」はケースバイケースです。
というか、「だからこっちはもう疲れてるんだってば。無茶な理想論言うな」というのが私の本音です。笑
「世界はホントは優しい」系の誤解
たしかに、たいていの他人はそれほどあなたに敵意を持っていません。
普通に話していれば、「コイツの話を否定したい」とか「テメェの考えなんざ聞いてねぇ」なんて思う人のほうが少ないです。
でも、「他人に敵意はない!他人はあなたが思っているより優しいんだよ!」と書いている記事をよく見かけますが、それは極端すぎると私は思います。
正確には、他人はただあなたに興味がないだけなんです。
それはしかたがない。お互いさまです。
ただ、「敵意がない=優しい」とカン違いすると、相手が自分の気持ちを尊重してくれないことにすさまじい違和感をいだいてしまいます。
相手の優しさに期待しすぎて、人間関係が余計に苦しくなってしまうんですね。
正確には、「興味がないから敵意がない=優しいとは限らない」といったところでしょうか。
毒親育ちの人は、他人を警戒している反面、こうやって相手の優しさに期待してしまうケースが多いです。
だから、「世間は意外と優しいよ」というアドバイスは、ちょっと毒親育ちにとっては極端すぎると思っておくとラクです。
余談ですが、(たとえフリでも)相手に興味を示す人はモテることが多い気がします。
自分の気持ちをわかってほしいと思う人は案外多いのかもしれません。
「あなたの努力が足りない」系の誤解
「伝える技術を磨け」とか「わかるまでとことん伝えよう」とか、「あなたの努力が足りないんですよ」系のアドバイスは毒親育ちにとって1番危険です。
というかもはや有害です。笑
毒親育ちは、「自分の気持ちを伝える」というニガテ分野に真正面から向き合い、克服しようとすでに何年も努力してきているからです。
そこで「もっと技術を磨け」、要するに「もっと努力しろ」という言葉を真に受けたら、毒親育ちは必ず潰れます。
得意分野を伸ばすならともかく、できないことを克服するのはカンタンなことではありませんから。
それに、「もっと相手に気持ちを伝えられるように努力する」とか「頑張る」といえばいかにも美しく聞こえますが、努力や頑張りは、周りの人が見守ってくれることを前提にすることです。
逆に言えば、「周りの人に見守らせることになる」という考え方もできます。
そう考えれば、別に努力することが手放しにすばらしいことだとも言い切れないかもしれません。
とまあ、こういう感じで、一般的な対処法はあまり毒親育ちには向いていないんです。
もちろん、上記のような解決法で自分の気持ちを伝えられるようになる人もいるでしょうが、毒親育ちにはどれも合っていないと私は感じます。
だから、世間一般の解決法が肌に合わなかったからといって落ち込まないでくださいね。
これが言いたかったんです。笑
毒親育ちは自分の考えを話すのがニガテで当たり前
さきほど、「得意分野を伸ばすならともかく、ニガテ分野を克服するのはカンタンじゃない」とお伝えしました。
毒親育ちのほとんどは、自分の考えや気持ちを主張するのがニガテです。
もうそれは、「伝える技術が足りない」とかそういう次元の話ではありません(いやまぁそういうケースもあるかもですけど)。
そもそも、毒親育ちは、自分の意見や気持ちを毛虫のように雑に扱われてきた経験が豊富です。
この記事を読んでくださっているような方ならもうおわかりだと思います。
毒親育ちは、本来なら自分の意見を最大限に共感してくれるはずの両親から、自分の気持ちをずっと雑に扱われてきました。
ヘタに自分の気持ちを主張しようものなら、
- 「お前の考えすぎだよ。いちいち繊細だな。」
- 「口答えするな!」
- 「そういう考え方は社会では認められないよ。」
- 「それはアンタが悪いよ。」
- 「お前みたいなヤツに意見言われるとムカつくわー。」
- 「え?」
- 「はぁ?」
- 「そんなときもあるって。」
- 「んー、どうだろうね(失笑)」
- 「ふーん。ところでさ…」
- 「要するに〇〇ってことだろ?」
- 「ガキだな。甘いな。」
- 「お母さんはそういうのどうかと思うよ。」
なんて軽く流され、バッサリ否定され、斬り捨てられます。
戦国時代の武士だっておそらく首級くらいは拾ってもらえたと思いますが、毒親育ちは斬り捨てられたまま地面に転がって、誰も哀れみなんてかけてくれませんでした。
そして、そう遠くない未来に、自分の考えを言うのがトラウマになってしまいます。
どうせ自分の気持ちを言ったって、否定されたり、軽く流されたり、カウンターされたり、相手の「意見発表会」の前座にされたり、マウントとられたり、ひどい目に合うだけだから。
たまに話を聞いてくれたと思ったら、形だけの共感だったり、こちらの機嫌を確認していただけだったり、ただの優しさアピールだったり。
こういうのホントしんどい。
こんな会話が続けば、自分の意見を言いたくなくなるのは当たり前ですよ。
それでもみなさんは、「自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃ」と思い、トラウマを力いっぱい振り切り、がんばってニガテを克服しようとしたんですよね。
もうすでにめちゃくちゃ頑張っているんじゃないかな、と私は思います。
でも、やっぱり克服するのは難しくて、限界を迎えてしまったんですよね。
毒親育ちに有効なのは「わかってもらいたい」をあきらめること
で、じゃあどうやって私がラクになったかというと、「他人に私の気持ちをわかってもらいたい」と思うことをスッパリあきらめました。
別に努力してあきらめたわけではなく、もう限界が来て疲れたんでやめました。
ここが大きなポイントです。がんばったわけじゃないんです。
「あきらめる」っていうとあんまり響きはよくないですけど、つまりは「執着しない」「手放す」ということです。
どうせ他人は自分の考えに手いっぱいで、私に興味がないし。
ていうかそれお互いさまだし。
理解されようと頑張るのダルいから、もうわかってもらえなくていいや。
「察してちゃん」になるのはイヤだから、一応、大人として自分の意見や気持ちを伝える義務は果たすけどね。
義務的に伝えるだけ。もはや形式。利用規約や成分表示みたいなもん。
で、別に伝わらなくていいから、うまく伝える努力もしなくていい。技術も不要。
そう思ったら、途端に気持ちがラクになりました。
沖縄から北海道まで徒歩で重い荷物を背負ってきて、稚内でようやくそれをドサッと降ろしたような感覚。笑
他人というのは、友人や家族など親しい人も含みます。
いませんが、仮に結婚したら夫なども当てはまります。自分以外の人すべてです。
「冷たいかな」と思わないでもないですが、それくらいドライなほうが生きやすいし、周りの人も、私にヘンに期待されて迷惑しないかなと思います。
「誰にも気持ちをわかってもらえなくてさびしい」と感じたら、話を聞いてくれる人のところに行けばいいだけ。
お金を払えばカウンセラーなどは話を聞いてくれますし、自分の気持ちに近いことを書いているサイトを見るだけでもだいぶ心が休まるでしょう。
無償であなたの心に耳を傾けてくれる友人や家族がいる人はラッキーです。
でもそれは、「身内に医者がいたからタダで症状を診断してもらえた」みたいなもの。
「いないのが普通」だと思えば何ともありません。
もちろん、全力で自分の気持ちを伝えたい人ができたら、頑張って伝えてみる努力をするのはいいと思います。
ポイントは、「自分の気持ちをわかってほしい」という考えを努力して手放すのではなく、「もう疲れたから捨てるわ」という感覚。
努力して手放そうとすると、「どうしても自分の気持ちをわかってほしくて苦しい、つらい、ラクになれない自分がみじめだ」となるからです。
まとめ:毒親育ちは「自分の気持ちをわかってほしい」をあきらめる
毒親育ちは、そもそも自分の気持ちを伝えるのがニガテです。
自分の気持ちを伝えれば、必ずといっていいほどひどい目にあってきたからです。
ニガテを克服するのは大変なので、毒親育ちが一般的な対処法で自分の気持ちを伝えられるようになるのは難しいです。
もし自分の気持ちを伝えることに疲れたら、「わかってほしい」という気持ちを手放すとラクになります。
手放すように努力するのではなく、「疲れたからポイ」みたいな感覚で。
むしろ、疲れたときが「わかってほしい」を手放す絶好のチャンスかと。笑
受け入れてほしくて仕方がなくなったら、適切な人を探せばいい。
そんなくたびれた考え方でもOKだと私は思います。笑
相手もヘタに期待されなくていいだろうし、自分も努力を手放せるからです。
最後に、宣伝になってしまうんですが、私の毒親脱出メール講座でも「義務的に自分の気持ちを伝えて毒親とさよならする方法」をお伝えしています。
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