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運営者のプロフィール

プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
はじめまして、Annaと申します。

私は、恐怖で毒親に逆らうことができない言いなり体質で臆病な毒親育ちでした。

しかし、ヒステリックで怒鳴りグセのある毒親との絶縁に成功しました

今では、在宅Webライティングの仕事と好きなバイトでお金を稼ぎ、気の合う妹と2人でのんびり暮らしています。

いきなり重たい話で申し訳ないですが…。
毒親から経済的・精神的に離れて自由に生活できるようになるまで、私は、

  • 幼少期から延々とつづく毒親の精神的虐待
  • 気弱ないいなり体質が原因のいじめ
  • 抑うつによる大学中退
  • 無職

など、さまざまな困難に直面してきました。

家庭でのびのびとまっすぐに人格形成できず、
心安らぐ愛とは無縁で、
学校や仕事場の人間関係につまずいてきた私が、
どうやって今の環境に至ったのか。

少し気恥ずかしくはありますが、私の経歴話がみなさんの勇気につながればと思うので、よろしければ少しだけおつき合いください。

家庭環境

私は、18歳まで以下のような家庭環境で暮らしていました。

全体的に家族の悪口みたいになってしまいましたが、毒親家庭の一例として参考になれば幸いです。

実父:自営業

家族が自分の意見を快く受け入れないとすぐにキレる。

「娘は自分より若いし成功していないから、娘の考えは受け入れるに値しない」と考えているので、都合が悪くなると娘の考えをバカにして否定する

一家の大黒柱で社会的地位も高いので、家族は父になにひとつ抗議できない。

実母:専業主婦

すぐにヒステリーを起こす。

嫁姑問題のせいで祖母とは犬猿の仲であり、祖母のことについて毎日のように娘へグチをこぼす。
なんでも母の味方をしないと(=母と同じように考えないと)怒鳴られる

娘が自分のいうことを聞くまで「○○しなさい!」「○○って考えなさい!」などのように叫びつづけ、娘が「はい」と言うまで家中追いかけてくる。

実祖父:自営業

婦人科の病気で結婚をあきらめた部下の女性に「もうお前は女じゃねぇな」と発言するなど、訴訟レベルの無神経な面がある。

「オレは正直だからなんでも気兼ねなく言うんだ!」という主張を振りかざして無神経な発言をくり返すが、自分に都合が悪いことは正直に言わない。

継祖母:専業主婦

ドラマに出てくるような典型的鬼姑。
母を目の敵にしており、孫の私に堂々と母の悪口を言ってくる。

祖母に味方しないと、家の中で兄弟間差別・いびり・行動制限・理不尽な要求などをくり返されるのでいっさい気が抜けない

自分にしたがう子を「大事な子」と言い、反発する子には「クソガキ」と陰口をたたく。

妹(理解者)

小さい頃から私と一緒に毒親家庭を生き抜いてくれた相棒。

突然カッとなったり傷つきやすくなったりするときもあるが、こちらの気持ちを伝えれば耳を傾けてくれる。
他人の価値観を尊重する。


もし、内容を見て傷ついた方がいたら大変申し訳ありません。
どうしようもない家族が気分で言ったことなので、できることなら気にしないでいただければと思います。

おおげさでもなんでもなく、私の家は、パワハラ上司・ヒステリー女子・セクハラ上司・いじめっ子が全員同居して家を支配しているカオスな状態でした。

このようなギスギスした家庭環境なのに、私は学生時代の頃、

「うちは普通にご飯がもらえて(身体的な)虐待もないし、すばらしい家庭だなあ」

と思いこんで疑っていませんでした。

「取り返しがつかなくなる1歩手前」まで行ったときに見えたのは…

大学時代、上京してはじめて実家から離れると、

  • 家族がフキゲンそうだったら自分の考えを変える
  • 家族の顔色をうかがって1日の過ごし方を決める
  • 家族がドスドスと足音を立てたら、何を望まれているか察して動く

などせず済むようになったので、「今までの家庭環境ってなんか面倒だったんだな…」とぼんやり認識しはじめました。

しかし私は、そのように家族への違和感を覚えても、

「家族のキゲンを気にしながら生活するなんて普通のことだ」
「家族のことを悪く思うのは、私が未熟で弱いからだ」

と自分に言い聞かせつづけてしまったのです。

 

その結果、ある日突然、抑うつ状態になって1歩も動けなくなりました

 

「食べたら、起きたら、出かけたら、また生きなきゃいけない」と考えてしまう状態になり、ベッドで仰向けになったまま動けず、なぜか涙が出て、どうしても生きる気力がわいてきませんでした。
あの頃の私は、いわゆるセルフネグレクト状態に近かったです。

私は、親に合わせて自分の感情を20年以上も偽りつづけてきたので、「自分がどうして抑うつ状態になったのか」すらまともに認識できませんでした。

当然、大学にも行けず、ほぼ寝たきりの日々が過ぎていきました。

そんなある日、大学から両親に連絡がいき、ついに私の無断休学が両親にバレてしまいました。

もちろん両親から電話が来ました。
母は電話口で「はぁ?なんで大学行かないの!?」「アンタこれからの人生どうすんの!?」と怒り狂って叫んでいたのですが、父は「オレはお前の味方だ」と言ってくれたのを覚えています。

しかし、今まで「愛情が薄い」と思っていた父を見つめ直したのもつかの間。
後日、母がまた電話してきて、

「お父さんはね、あの後アンタのことを”もうオレの娘じゃない!”って言ったのよ」

と暴露してきました。
母は涙声で絶望しながら言っていたので、ウソではないと思います。

「ああ、私は順風満帆に生きていないと”実の娘”だと思ってもらえないんだ。お父さんも、口では味方だって言っていたのに…」と、何が何だかワケがわからなくなりました。

 

小学生の頃から常に「生きるのに疲れた」という感覚があり、

家族との信頼関係を知らず、

他人とも信頼関係を築けず、

拒絶されることにただ怯えて周りに合わせようとする息苦しさを経験し、

克服できないまま私は「いいトシの大人」になってしまいました。

 

その後、大学を中退して無職になったときは、親への罪悪感→違和感→罪悪感…というループ地獄にはまりました。

「生活させてもらっている」という強烈な罪悪感から、たった120円のコーヒーを1杯買うだけでもお腹が痛み、無職の情けない自分を責める気持ちが襲ってくるのです。

しかし一方で、「アンタは情けない」「正社員になるための行動以外は価値がない」などのように連呼する親に、あいかわらず違和感を抱いていました。

そして、親への違和感をおぼえるたびに、「私は甘い。生活させてもらっているのに親を悪く思うなんて…」と、また強い罪悪感を覚えました。

そして、自責の念・猛烈な罪悪感・親への激しい違和感の板ばさみになり、私はとうとう、「親を殺すか自分が死ぬしかない」というところまで自身を追いつめました。

そのとき、

「親を殺したくなるか自分が死にたくなるなんて、やっぱり私の家はおかしいのかも」

と、改めてようやく気がついたのです。

あのとき少しでも「おかしいかも」と疑わなければ、今頃私は、(冗談抜きに)あの世か刑務所にいたかもしれません。
あまり表立っては言いにくいのですが、今でも子が毒親らしき親を殺すニュースを見てはゾッとし、「他人事じゃない。私も1歩間違えればああなっていたかも」と思います。

実家を脱出したら、そこには毒親育ちにとって衝撃の事実が待っていた

その後、私は「このままではイヤだ」「死ぬ前に自由に生きてみたい」などの強い思いから、少しずつもがくように行動しはじめました。

私は、小さい頃から大の仲良しだった妹と協力し、バイトや在宅仕事を始めて2人だけで暮らすようになりました。
幸か不幸か実家がド田舎だったため、「都会じゃないと仕事がないから!」となかば強引に親を言いくるめて半家出状態でした。

でも、せっかく家を出て両親から離れることができたのに、両親が精神的な虐待をやめることはありませんでした。

  • 毎月電話をかけてきて私にひどいことを言う
  • 私の仕事や交友関係に口を出して親の思いどおりにしようとする
  • 勝手に私の予定をキャンセルして強引に会おうとする

など、両親は物理的にも精神的にも私を支配していました。

そのように、離れた後も親に悩まされた私は、ネット検索で「毒親」という言葉を知りました。

離れて暮らしていても子を支配しようとする毒親に悩んでいた私は、わずかな貯金をはたいて、毒親問題を解決してくれるであろうカウンセラーさんなどを血眼で探して通いました。
そして、何度か面談を試してみては絶望する中で、幸運にも、とても実用的なアドバイスをくれるカウンセラーさんに出会いました。

カウンセラーさんからお話を聞いたおかげで、私は、今まで両親から、普通の家庭で育てば一生負うことのない傷をつけられてきたのだと知りました。

「あなたが今まで感じてきた人間関係の息苦しさ・自己肯定感の低さ・生きづらさなどは、毒親家庭で育った人でなければ決して感じないものだ」とカウンセラーさんに言われたときは、ショックでボーゼンとしました。

毒親の家庭にさえ生まれなければ。

つらくて怖くて不安なとき、泣き言をいって親のキゲンを損ねないようにする必要もなく、

人の好意や愛情をいちいち疑うこともなく、

物心ついたころから「死にたい」なんて思うこともなく、

まだランドセルをしょってる時代から、ずっと親に気を遣ってニコニコ笑うこともしなくてよかったのです。

私にとって、上記のような状態は、呼吸するのと同じくらい自然で当たり前のことでした。

「普通の家庭で育った方は、まずあなたのようにはならない」とカウンセラーさんから教わったときの衝撃は、おそらく一生忘れないでしょう。

カウンセリングの結果、私は、

「今まで感じてきた生きづらさなどをなくしたかったら、まず毒親との接触を絶たなきゃ始まらないんだ」

と強く思ったのを覚えています。

たとえ毒親から離れられても、ここでまた毒親の攻撃をガマンしつづけたら、無職時代にたどりついた「自分が死ぬか親を殺すかしかない」という結論に至ってしまうことが理解できたからです。

そのため私は、勇気を出して毒親と絶縁することにしました。

不安と戦いながら毒親との絶縁を実行

毒親と絶縁すると決心した私でしたが、もちろん、まったく迷いがなかったわけではありません。
そもそも、迷いがなかったらとっくに絶縁しているはずです。

私がここまで親と絶縁しようと思えなかったのは、以下3つの理由がありました。

  • 毒親と真正面から対決するのが泣くほど怖いから
  • 私の収入が不安定なので、もし大きな病気にかかったりしたら経済的に頼れる親がいなくなるから
  • 毒親とはいえ、定年間際の年老いた親に精神的な負担をかけるのが申し訳ないから

「自立できない娘の甘えた考え」だと自分を責めつつも、私は、

「毒親が年に1回ムリヤリ押しかけてくるのと、月1~2回の人格否定電話&メールさえガマンすれば、いつもの日常が送れる」

という一見ラクな道を選びつづけてきました。

ひとたび「絶縁」という道を歩み始めれば、その先には何があるのかまったくわからず、毒親とどんな戦いがくり広げられるのかも未知数で不安でした

そのため、毒親にガマンする「いつもの道」を歩みつづけてきたのです。

しかし、カウンセラーさんとお話したことをきっかけに、妹に勇気づけられながら、私はついに絶縁を実行することにしました。

絶縁は、どうしても毒親と真正面から対決しなければならず、穏やかに親子関係が終わるということはまずありえません。
それを承知で、私は毒親に「絶縁したい」という手紙を書きました。

もちろん、手紙を渡した後は、電話やメールで怒鳴り散らされる、「ひどい人間」だと叫ばれるなど、情緒不安定になった両親から猛烈な攻撃を受けました。

しかも、途中、Webライティングの取引先が急に事業をたたんで収入が激減するという痛恨のパンチまで食らいました。
また、これからは誰にも頼れないという天涯孤独感を味わい、お金・健康・将来・住居などのさまざまな不安に襲われ、心の余裕がなくなっていきました。

心が折れかけて、絶縁に挑戦したことを何度も後悔しそうになりましたが、それでも「もう後には引けない」と思い、勇気を出して毒親からの攻撃に対処しました。

現在

そして、私の絶縁宣言から2か月ほど経ったある日。
朝起きると、毒親から直筆の手紙が届いていました。

その手紙にはなんと、

「今までごめんなさい。これからは自由に生きてください。応援しています」

と書かれていました。

その手紙を読んだとき、窓から漏れる朝日がなぜかいつもよりまぶしくて、キレイで、私は、妹と2人でぼーっと窓の外を眺めながら手紙を読みました。
「夜明けが来た」という実感がわきました。

私はついに、絶縁に成功したのです。

それからというもの、毒親が連絡してくることは一切なくなりました。

相変わらず将来への不安はあったものの、それ以上に、「なんとか生きていける!」と希望があふれてきました。
そこから、私と妹は、仕事やバイトを増やしたりして、取引先をなくした損失を補填し、実際に、なんとか生活資金を確保できるくらい元気を取り戻しました。

 

私は今、「自分の人生を誰にもジャマされず、自分自身で好きにする」ということがどれだけ幸せなのか味わっています。

毒親とは連絡をとらなくてよくなったので、これ以上、人格や人生を否定されることもありません。

もう、親から「実家に住め」「○○の仕事をやれ」と言われることもなく、好きな場所で、好きに生きることができます。

親の顔色を伺って起床時間や予定を決めることなく、「眠いし動きたくないから10時に起きよう」「今日は疲れたから誰にも会いたくない」という感じで生活できます。

もし今後毒親から「会おう」と誘われても、「支配されず断る方法」を知ったので、親の予定に黙って従うことはありません。

また、「親からの自由」を体験することで自分に余裕が出てくると、周囲の人の些細な行動や言動にイライラ・ビクビクせず優しくなれるので、人間関係が改善してストレスがたまりにくくなります。

「ストレスフリーで心安らかな人間関係」は、毒親育ちの誰もが手にしたいと思っているのではないでしょうか。

毒親という人生でもっとも厄介で離れにくい相手と距離を置く術を身につけたので、私はもう、自分が一緒にいたくない人に振り回されることはないでしょう。

「毒親から解放され、自分軸で生きられる未来」を手に入れるためには

毒親に悩んでいる真っ最中のときの私は、どんな毒親に関する情報を見ても、

「どうせ、実家を出て連絡を絶って親を無視しろっていうんでしょ。それができないから困ってるんじゃん」

と自分の怖がりを棚に上げて怒りつつ(笑)、それでも何とか毒親から脱出できる方法を懸命に探していました。
でも、やっぱりどこのサイトを見ても「毒親から離れればOK」「実家を出ろ」としか書いてなくて、具体的にどう毒親から離れればいいかなんてほとんど書いていませんでした。

絶縁してみてわかりますが、たしかに、苦痛から解放されるためには毒親から離れるしかありません。
そして、毒親育ちが幸せになるには、毒親から離れるしかないと信じています。

一方で私は、「実家を出ろって言うだけ言っておいて、どうすれば毒親と離れられるかは書いていない」という不満を何度も感じてきたので、「毒親から離れるしかないですよ」と言って終わるつもりはありません。

私は、当ブログを公開することで、

「毒親と絶縁したいけど勇気が出ない…」

「毒親と離れたいけど、これからのことを考えるとどうしても関係を切れない」

「毒親と適切な距離を置きたいけど、どうやったらいいの?」

と悩む方に向け、毒親からの自由を手に入れるための情報をご提供していきたいと思っています。
もう私には「毒親から脱出するための情報」は必要ないわけですから、その知識は、まだ毒親に苦しんでいる方に活用してほしいのです。

毒親から離れる勇気があれば、きっと、今までの苦しかった人生が報われる第2の幸せな人生がはじまるでしょう。

 

最後に…。

私は毒親家庭で育ったので、

「家族はすばらしいものだ!」
「親は苦労して自分を育ててくれたんだから大事にしよう」
「親にはお金をかけてもらったんだから感謝しよう」

という世間の通念はひとまず置いておいて、毒親育ちに100%味方したいと思っています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

Anna