親のことを相談すると必ず「親のせいにして甘えてる」って非難されるから、誰にも相談できないよ。
毒親、毒親って言う人たちってさ、親に甘えてるだけだよね?
もういい大人なのに、自分の苦しさを親のせいにするのはちょっと…。
上記のような疑問を解決するためのページです。
「毒親」という言葉がだんだん認知されてきた一方で、「なんでも親のせいにするのはどうなの?」と考える方も少なくありません。
毒親育ちは、本当に何でも毒親のせいにして甘えているだけなのか?
今日は、毒親育ちの「甘え」問題について切りこみます。
自分が「甘えているんじゃないか」と少しでも思ったことがある毒親育ちには、特にぜひ読んでいただきたいです。
「なんでも毒親のせいにして甘えている」かは人による
結論から先にいいますが、「毒親育ちが何でも親のせいにして甘えている」という認識はまったくの誤解です。
どちらかというと、何でも人のせいにして甘えているのは毒親のほうです。
毒親育ちのみなさんは覚えがありますよね?
私が不幸なのは、あなたたちのせいよ!
お前らみたいなガキがいるから、オレはこうやって生きていくしかねぇんだよ。
アンタなんて産むんじゃなかった。
アンタがいなければ、私は自由なのに…。
毒親は、こうやっていつも誰かのせいにして、自分の人生の責任を誰かに負わせようとしていませんでしたか?
夫のせい、妻のせい、子供のせい、家族のせい、上司のせいなど、とにかく責任転嫁しては人を傷つけて甘えているのは、ハッキリいって毒親のほうです。
ただ、残念ながら、自分の人生の責任を毒親に押しつけて甘えてしまっている毒親育ちがいるのも確かだと思います。
そういう方は、暴力や暴言で親を脅して生活費を強要していたり、気づかず自分も毒親になったりしてしまっているケースが多いです。
「毒親のせいにして甘える」ってそもそも何?
私は、「私が〇〇なのは毒親のせいだったんだ!」と考えるのは甘えだと思いません。
甘えとは、責任転嫁のことだと考えています。
「責任転嫁」というのは、
を指します。
例えば、
私が就職できないのは、毒親に「能無し」って言われつづけて自信が育たなかったからだ。
だから、積極的に就活できないんだ。
と考えるのは、「毒親のせいにして甘えている」とは言わないと思います。
就活がうまくいかない原因を分析しているだけです(当たっているかどうかは別として)。
しかし、
毒親の暴言のせいで自分に自信がなくなったから、うまく就活できなかった。
私が就職できないのは毒親のせいなんだから、毒親は私の生活を支えるべきだ!
これは、「毒親のせいにして甘えている」という状態でしょう。
さきほどのセリフと微妙に違うのですが、伝わるでしょうか。
毒親は、就職・恋愛・結婚・人づきあい・成功・行動など、子供が「〇〇できない」ありとあらゆる原因を作ることが多いです。
それくらい厄介なのが毒親です。
そんな厄介な影響のせいで生きづらさを感じたとき、その生きづらさの原因が毒親にあると気づかないままでいると、いつまで経ってもその生きづらさをなくすことができません。
原因がわからなければ何事も直しようがないですから。
あくまで、毒親が原因で行動できなかったり人生の選択に失敗したりしたとき、その解決を毒親や他人に肩代わりさせるのだけは「甘え」だと思います。
なぜなら、毒親に原因があったとしても、自分なりに克服して恋愛・就職・行動などすることもできるからです。
自分で何もしようとせず、毒親や他人に解決を求めるのは、人生の責任を放棄していることになります。
自分の人生の選択を責任転嫁するのは、やっていることが毒親とまったく一緒です。
毒親育ちはほぼ100%自分を責める
ここまで、毒親に甘えているというのがどういうことか私なりに説明してきました。
でも、書いておいて何ですが、ほとんどの毒親育ちは甘えてなんていません。
私は今まで数十名の毒親育ちと交流してきましたが、みなさんどちらかというと、ほぼ確実に自分を責める性質をもっています(私もです)。
毒親や他人を責めて甘えるような方にはほとんど出会ったことがありません。
みなさん、まず最初に「自分が悪い」と思いこむのです。
逆に、そこを毒親からつけこまれていたり、本当は毒親が原因なのに気づかず苦しんでいたりするケースが圧倒的に多いです。
だから、たいていの方はあまり心配しすぎなくてもいいと思います。
むしろ、大人になってやっと「私が生きづらいのは毒親のせい…?」と気づけたのに、何も知らない他人が、ようやく解決のスタートラインに立てた毒親育ちを「甘えだ」という一言でくじくのは非常にもったいないですし、見ていてくやしいです。
自分で「甘えかな…」と思ったら
毒親のことで悩んでるけど、自分はただ甘えてるなのかも…。
とおっしゃる方が結構います。
自分が「甘えてるんじゃないか」と思いこんでしまうと、誰かに相談したり、悩みの解決策を探したりするのはなかなか難しいですよね。
たいていの場合は甘えでもなんでもないことが多いのですが、(他人から「甘えだ」と批判されるのが怖いのを抜きにして)意外と悩んでいる方が多いみたいなので、それについて少しお話します。
大切なのは、毒親の影響を「どう治していくか」決めること
他人に甘えていない(=責任転嫁してない)って、どういうことでしょうか。
それは、今まで毒親が原因でできなかったことを、今後自分がどうしていくか決めているということです。
例えば…
【例1】毒親の暴言のせいで自信がないから就職できない
毒親に暴言を吐かれつづけたせいで自信をなくし、就活できない。
オレが就職できずに困ったら毒親の責任だ!だから生活費くれるよな?
そうか、「就職が怖い」と感じていたのは、毒親の暴言が原因だったんだ。
じゃあ、まずは心の傷を癒すためにカウンセリングを受けてみよう。
面接に自信がないのは、過去に毒親から受けたトラウマのせいだよな。
じゃあ、面接がない仕事を探そう。仕事がなかったら今は就活をやめて、生活費をどうするか考えよう。
【例2】毒親に男(女)性としてバカにされてきたから恋愛できない
私が恋愛に積極的になれないのは毒親のせい。
誰かが私を愛してくれたら自信がもてるのに!
毒親にバカにされてきたんだから、恋愛に自信が持てないのは当然か。
誰かに相談できないかな?
毒親にバカにされてきたから恋愛が怖かったんだ。
じゃあ、自分を磨いて自信をつけよう!
毒親と同じような「責任転嫁人間」にならないで
例のように、誰かに解決をすべて任せるのではなく、自分の責任で選択を決めていれば、それは甘えじゃありません。
もちろん、他人にお願いすると決めて解決を「手伝ってもらう」のはアリだと思います。
行動できないことや、毒親が原因で何かを恐れることをダメだと言っているのではありません。
やらなかったこと、できなかったことをすべて毒親のせいにして、人に解決を丸投げしてはいけないだけです。
「怖いから行動しない」「つらいからやらない」と決めたのはあなた自身で、あなたが責任を負うべき判断だからです。
ただ、怖いから、つらいからといってやらない気持ちは私もすごく理解できるので、それを責めたりはしません。
怖い、つらい、傷つきたくないなどの気持ちは抑えつけてコントロールできるものでもありません。
ましてや、すべての人間がいつも恐怖や苦痛に打ち勝って行動しまくれるわけではありませんからね。
あくまで、毒親と同じような責任転嫁人間にならないでね、というお話です。
他にもっとつらい人がいるから甘えちゃダメ?
最後に補足ですが、
他にもっとつらい思いをしてる人がいるんだから、私程度の悩みはガマンしないとダメだよね。
と考え、「自分は甘えてる」という思考回路にハマってしまう方も多いです。
ハッキリさせておきますが、他人がどれだけつらそうだろうが、自分の苦しさをガマンしなくてOKです。
確かに、親子の問題というと、ニュースで報道されるような恐ろしい虐待などのレベルじゃないと「つらい」と言ってはいけないような気がしますよね。
口で親に否定されたり傷つけられたりするくらいでは、「そんなのよくある親子の話」と思われてしまうこともあります。
それでも、つらいと思ったのであれば、遠慮なくそのつらさを解決しようとしたっていいんです。
よりつらい思いをしている人を差し置いて音を上げるのが「甘え」だというなら、極論、「世界で1番つらい思いをしている」と認定されたたった1人だけが堂々と悩んでよいことになります。
他の70億人はどれだけつらくて悲鳴をあげても「甘え」ってことになるなんて、絶対おかしいですよね。
このように、不幸や幸せのレベルを他人とくらべたって本当に意味がないので、毒親のことで悩むのが甘えだとは思わなくて大丈夫です。
そもそも、「よくある親子の問題」「たいしたことない」では到底片づけられないほどツラいものですよね、毒親の問題って。
とにかくここから逃げたい、死んでしまいたいと思うようなことが「たいしたことないよくある話」だったら、人類がヤバいじゃないですか。笑
まとめ:毒親育ちはほとんど甘えていない
「毒親のせいで〇〇できない」というのは、ほとんどが本当の話です。
それだけ毒親は子供の主体性や行動力をむしばむからこそ、「毒親」なのです。
だから、「毒親が原因でつらいんだ、うまく〇〇できないんだ」ということを認識するのは甘えでもなんでもなく、むしろ、自分で自分の問題を解決しようとする責任ある行動です。
でも、毒親が原因だとわかった後、今後自分はどうすべきなのか決めず、ただ他人に何とかさせようとするのは、毒親と同じで人生の責任を放棄していることになるので気をつけてください。
もし、自分の毒親問題を解決するという「責任ある行動」をしようと決意したなら、私のメルマガ講座がお役に立つかもしれません。
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コメント
Annaさんこんばんは。初めまして。ikamと申します。
私の親も毒親だと思います。
父は子育てに一切関知せず、家にお金も入れず、それなのに仕事が忙しいと家庭を顧みない人でした。
母はそれでも父と別れようとせず、働いてなんとか生計を立てていましたが、毎日なんども
「お母さん、泣きながら仕事に行ってるのよ。こんなに辛いのはあんたを育てるためなのよ。だから大学に行っていい企業に勤めてね」と、本当に口を酸っぱくして言っていました。
また、「うちは貧乏だから」ということも頻繁に言われました。
「あんたが公立高校に行かないと、妹は高校に行かせられない。だから一流の公立進学校に行って。私立は認めない」と、これも受験期毎日毎日言われました。
私は保育園時代からいじめられていて、友人も少なく誰にもこういったことを相談できませんでした。
親から逃げるには、県外の公立大学に行くしかないと、高校の同級生が楽しく遊んでいる間もずっと勉強し続けて、なんとか大学に進学しましたが、そこで力尽きました。
大学から一人暮らしのアパートに帰ってくると、「あんたが家を出たことで、お母さんのお金がなくなった」と電話攻撃でした。
死にたいと思うようになり、大学の保健センターでカウンセリングを受けましたが、私が泣いて話している間、カウンセラーは寝ていました。
見捨てるように精神科を紹介され、そこで大量の精神薬を服薬させられ、今は精神障害者に仕立てられてしまいました。
大学は留年してなんとか卒業しましたが、20代はじめなのに薬物中毒でフラフラでした。
氷河期世代だったこともあり、面接のたびに嫌な対応をされ、面接がトラウマになり、いくつか職を転々とし、職場でもいじめにあい、退職と精神科入院を繰り返して40代になりました。
自分のことを長々と語ってしまいましたが、「何でも人のせいにして甘えているのは毒親の方」という意見にハッとしました。
毒親について書かれた記事を読むと、それだけで恐怖を感じパニックに陥ってしまう場合があります。でも、この記述はすっと心に入ってきて、納得できました。
残念な人生を送っている私ですが、Annaさんのブログをこれからも時折拝見しつつ、自分なりに楽しい生き方を探っていきたいと思いました。
記事を書いてくださってありがとうございました。
ご自身の内面と向き合って、こんなにも理性的な記事を書けるなんて素晴らしい才能だと思います。
コメント返しは大変だと思いますので、必要ありません。
Annaさんが少しでも穏やかに生活できるように、私もネットの向こうから応援しています。
現在最低賃金以下の障害者施設で就労する話を進めていますが、それも毒親である父の意見に屈したような気がしてモヤモヤしています。
ikam様
私も少し一部似たような経験をした者です。
私の父親も、常に子供に無関心で否定や見下しをする毒親でした…。
私も小学生~中学校卒業にかけて8年間虐めに合いました。
もちろん父親は私の苦しみに一切共感してくれる事もなく、とにかく学校へ行け!の一言。
登校拒否は絶対に許されませんでした。
学校では毎日屈辱的な嫌がらせに一人で耐える日々。
家では父親の顔色を常に伺う緊張の日々。
私が心から安らげる場所はありませんでした。
進路を決める際も(夢を諦め)、父親の意向に従い経理関係の学校に入り資格も取得しましたが…
、学校卒業後は就職難でトラウマになるほど苦労しました。
面接官に人格否定され屈辱的な言葉を浴びせられ、本気で死にたくなった事が何度かあります。
私は存在している意味が無い。消えた方が良い!と。
しかし本屋で心の本を見つけて何冊か読んでいくうちに、何とか最悪な自暴自棄の状況から立ち直りました。
まだ発展途上の状況ですが、残りの人生毒親の支配から解放されて変えて行ければなと思っていますm(__)m
悩みの多い人にとってこれほど有益な記事は無いでしょう。
たしかに「親のせいにするな!」という人たちが一定数いますよね。
知恵袋等で良く見られます。
しかし、そういう回答をしている人たちは健全な愛がある親の元で育てられた子供か、自分の非を認めたくない毒親本人なのでは?と感じる事があります。
私は父親に「お前のせいで仕事で苦労している。お前のせいで不幸な思いをしている。」と言われてきました。
また、お前なんてと見下されたり人格否定されて傷ついて反論した時も「お前が悪い!俺は悪くない!」の一点張りで怒鳴りちらし、終いには出ていけ!の一言。
幼少期からこんな家庭環境だったので、気づいたら「他人が不機嫌なのは全て私のせいなんだ」と本気で思い、常に外見も内面も能力も完璧でなければいけないと思い込んで苦しい思いをしてきました…。
友人といても彼氏といても緊張して息苦しかったです。
この恐怖と緊張は、経験した人でなければ分からないと思います。