【お知らせ】新企画アンケート

ただいま、新企画に向けてのアンケートを実施しております。
今年は、「毒親から経済的に自立するための新企画」を始めようと思っているので、それについてのアンケートです。
よろしければご協力お願いします。

「大人になれば平気」だからって、子供の「今」を無視しないで

「今」がつらいなら我慢しないで その他記事

記事をご覧頂きありがとうございます。お疲れではありませんか?
私の住んでいるところは寒くて暗い天気模様なので、細々と汁物中心の食生活をしています。

大人になるといろいろな困難に耐性がつき、子供の頃に比べてささいなことが気にならなくなる。

このような経験はおありですか?

今日は、子供と大人の価値観のちがいについて、私の考えを書かせていただこうかなと思います。

今回のテーマは、「大人にとっては平気でも、子どもにとってはつらくて耐えられないことがある」です。

友達と違うペンを持っているなんて大問題!?

大人になってから思い返すと、「なんで昔の私は、あんなことを気にしていたんだろう」と思うことがありませんか?

私は小学生の頃、「お友達と同じ文房具を持っていないなんてカッコ悪い」と考えていました。

文房具だけではなく、カバンや靴なども同様です。

同級生と持ち物の足並みをそろえたくて仕方がなかったんですね。

もちろん大人になった今では、「いい!」と感じたものを除けば、人と同じアイテムを持ちたいなんて思いません。

むしろ、持ち物がかぶっていると気まずいくらいです。笑

 

大人になった今でも「子供にとっての大問題」を想像できるか?

このような「昔は気にしていたけど、今は気にならない」という感覚に覚えがある方は多いかと思います。

ところが。

大人になってから子供と接するとき、この感覚を思い出せる方はそういないのではないか?

私はそう感じてしまいます。

大人の自分にとっては何でもないことなので、子供に対しても、ついつい大人と同じ物差しで「この子の悩みは大したことない」と判断してしまう人がいます。

幼い頃、私は学校の先生に「同じクラスの○○ちゃんにバカって言われた」と相談しました。

「大事になったらどうしよう…。クラスのみんなに公表されたらどうしよう…」

などと様々な不安と戦いながら、心臓がバクバク鳴る中で勇気をふりしぼって職員室のドアを叩いた記憶があります。

しかし、大人である先生にとっては、(もちろん個人差はあると思いますが)人に相談するほどのことではなかったのでしょう。

先生は、

「そんなことをいちいち気にしてもしかたないよ。Annaちゃんはちょっと繊細すぎるんじゃない?」

と返してきました。

たしかに大人の先生からすれば、小学生だった私の「バカって言われたから先生に相談する」という反応は大げさに感じたのでしょう。

でも、子供の私からしてみれば、クラス内での尊厳にかかわる重要な問題でした。

はっきり言ってしまえば、当時の私にとっては死活問題に等しいくらいの出来事でした。

このように、自分の物差しをそのまま他人にあてがってしまう大人が、子供時代に同じ言葉を言われたらどうなっていたでしょうか?

きっと、騒いだり怒ったり泣いたりと、強いアクションを起こしていたのではないかと思います。

もしかしたら何を言われても動じない子供だったのかもしれませんが、少なくとも良い気分はしなかったはずです。

その後も、子供の私は、悩み事を相談して大人に軽んじられるたびに、「大人は平気かもしれないけど、自分はまだ子供なんだから。そのことを忘れないでよ」という思いを抱き続けました。

 

「大人になれば平気」。じゃあ、「今」はどうなるの?

よく、限られたコミュニティでの人間関係に苦しんでいる子供に対して、

「卒業したらどうでもよくなるよ」
「大人になれば気にならなくなるよ」

など、「時間が解決してくれる」という主旨のアドバイスを見かけます。
大人になった私も、「確かにその通りだな」と思います。

でも、そのコミュニティの中で苦しんでいる子供本人にとっては、苦しみに耐えながら「将来」を待てるほど、「今」は生易しいものではありません。

「時間が解決する」というのは、未来の可能性のために「今」を楽しむことを捨てるという選択だと私は思います。

子供にそのような選択をさせるのは残酷だと感じます。

ただでさえ短い子供時代を苦しみに耐えたまま楽しく過ごせないなんて、大人だって想像しただけでイヤになりませんか?

できることなら私は、「今」を楽しめるような場所に道をつないであげたいです。

 

「誰にとってならツラいか」なんてどうでもいい

大切なのは、「子供がつらいと感じている事実」だと私は思います。

一般的につらいものかどうか、もしくは大人にとって大変なことかどうかなんて、子供には関係ありません

しかし、子供は大人よりも表現力に乏しく、うまく自己表現ができないことが多いので、教育現場にしろ育児現場にしろ、どうしても大人の気持ちのほうにスポットライトが当たりがちなのではないかと感じます。

巧みに育児を語る赤ん坊なんているわけがないので、しかたないですが…。

自分が想像できない苦しみを理解するのは難しいかもしれません。少なくとも、私にとっては簡単なことではありません。

大人になるにつれて、子供の悩みが想像できなくなります。

しかし、たとえそうだとしても、「相手がつらいと感じている」ことを無視しないほうがいいと私は思います。

出産の痛みを経験するわけがなくても、つわりで苦しむ妊婦の妻に寄り添う男性はいますよね?

このとき男性は、「分かる分かる、出産って痛いんだよねー」と理解しているから寄り添っているのではなく、「妻がつらそう」だから寄り添っているのではないでしょうか?

このように、相手がつらい思いをしているということに目を向ければ、つらさの度合いや内容が理解できなくても相手に寄り添えると思います。

ましてや「子供であること」は誰でも1度は経験しているはずですから、まず経験しないような苦しみに比べたら、子供の苦しみを認識しやすいはずです。

 

子供のつらさに寄り添える大人は尊敬される

もしかしたら、急いで階段を上っているときに、段差を素早く登れず1段1段ゆっくりと上る子供が前にいたらイライラするという方もいらっしゃるかもしれません。

たいしたことない出来事でいちいち騒ぐ子供に、イライラすることがあるかもしれません。

私はそのイライラ自体を否定しません。

私は考えや行動を強制しませんので、「イライラするな!子供に気遣え!子供の気持ちを想像しろ!」とは言いません。

イライラしても仕方がないと思います。

ただ、子供のつらさを肯定することは、大人にとっても子供にとってもいい影響があるのではないかと思っています。

子供は、ある程度大きくなると、他人の感情を自分の物差しでしか量れない大人に失望します

私もそうでした。

「私的には平気だから、アンタは気にしすぎってことになる」という自己中心的な判断を下す大人は、決して子供に尊敬されません。そして、子供に尊敬されない大人は、子供から大切に扱われなくなっていきます。

逆に言えば、たとえ理解できなくても、他人の感情に寄り添える大人は子供に尊敬されます

寄り添ってもらえた子供は、寄り添ってくれた大人の態度を見て「優しさ」を学び、将来的には他人にもその優しさを与えられるようになると思います。

もちろん、大人同士でも、他人の感情に寄り添える人を魅力的に感じるのは言うまでもありませんよね。

子供の「小さな」悩みにイライラしてもかまいません。

でも、そのイライラを子供にぶつけず、「子供が苦しんでいる」という事実にただ目を向けてみると、いっそう魅力的な人間になれるかと思います。

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この記事を書いた人
Anna

毒親育ちで在宅WebライターのAnnaです。

いわゆる「パワハラ上司」のような祖父母・両親のもとで育ち、大人になっても人間関係をうまく築くことができず、抑うつ・無職などを経験しました。

今は、たまにバイトしながら在宅でWebライターをしています。

自身のWebライターの経験から、在宅で「毒親脱出資金」を稼ぐ方法を読者の皆様と一緒に模索していけたらと思っています。

「甘え」、「親不孝」など毒親育ちに対する世間の厳しい言葉をとりあえず置いておいて、100%毒親育ちサイドに立って発信していきます。

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【Webライティングの実績】
・通算500件以上の記事を執筆
・大手生命保険メディア様にて多数記事掲載
・Fintech系サイト様にて記事を1カテゴリー全執筆
・「サグーワークス」様の合格率1%「プラチナライターテスト」に一発合格
・「Lancers」様にて、Webライティング開始後1か月で「認定ランサー」の資格を取得

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